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    • 2017.11.07 Tuesday
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    無題

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       江戸時代、白隠という僧はある夜コオロギの鳴き声を聞いて一瞬にして大悟したという。

       僕のように俗世間のさらにその片隅で生きている人間にとって縁遠い話であるけれどコーヒー豆を焙煎する者はいつもベストな焙煎とはどういうものか探求心をもって仕事をしている。けれど、焙煎というのもそう簡単には悟れるものではない。火力を強めたり弱めたり、排気(釜の中を流れる空気のこと)を多くしたり少なくしたり、また時間を長くとったり短くとったりそしてそれらの組合せで思いつく限りのことを試してみるものである。何年も何十年も。

       ある時はとうとう素晴らしく煎り上がったと大喜びする。それこそ悟りでも開いた気持ちになる。ところがしばらくして同じ豆を同じように焙煎してみれば、あにはからんや、違う味になっており落胆の底に沈む。(一般的にこれは焙煎時の気温や湿度の変化が影響を与えていると説明されているがどうもそれだけではない気もするのだが・・・)こうしたどんでん返しを僕は数限りなく繰り返してきた。そして、いつからかそうした一喜一憂を捨て、むやみな操作もやめ、ただじっと煎り上がる豆を見守るようになった。

       何年か前、知り合いの方とお茶する機会があった。話によれば、彼は仕事で僕と同じようなロースター(焙煎士)を取材することがあったのだそうだ。その際、焙煎する様子を見せてもらったらしいが驚いたのだという。何に驚いたのか聞いてみると、そのロースターは釜に生豆を入れてから火から下ろすまでの間、ただ焙煎機の前の椅子にポツネンとうずくまるように座りまるで動かなかったからだそうだ。

      動かざること山の如し的焙煎手法というのは決してめずらしいわけではないので僕にしてみれば驚いたという知人の方に新鮮さを感じた。そもそも、ロースターというのは世の中からどう思われているのだろう。

       険しい表情で釜(焙煎機)をにらみつけ時折わけのわからぬレバーを動かし最後には気合いもろとも一気に釜の蓋を開ける。そして、もうもうと立ち上る煙の中から鬼神のようなロースターの姿が現れるといったところか。

       ロースターの実際の仕事というのは総じてそのようなことはない(と思う)。真剣ではあっても表情には出ず自然体でリラックスした姿で仕事をしている方が多いのではないか。あるいは接客などの他の仕事をしながら焙煎もしているというケースもある。新聞を読んでいる人もいた。ただ、これはあくまでも「総じて」の話である。というのも、コーヒーの世界には予測もつかないような求道心をもつ人が人知れず存在するからだ。集中力が並外れているのならば、釜の中の豆が自分かあるいは見ている自分が豆なのかわからなくなってしまうような人がいてもおかしくない。そうした場合、ハタから見てその人がどう映るのだろうか。抽出の世界だってそうである。何かひどく思い詰めたような表情で辺りにただならぬオーラを漂わせて一心不乱にネルに湯を落とす人を見たことがある。きっとその人はその時自らが湯と化してコーヒーの粉の中に潜り込んでいたに違いない。

       

       つくることと売ることでは土俵が違う。我を忘れて何かを作ったところでそれが売れるという保証はどこにもない。当たり前だが、つくる人はつくるモノのことを考え、売る人は客のほうに意識が向く。それで物事がうまくいく。企業の場合部署に分かれていてそれぞれの人がそれぞれの仕事に専念できるようになっている。そのため効率は良い。しかし、部署が違えば自ずと立場も変わり部署間で意見が合わず摩擦が出てくることもある。商売を始めた時ひとりで物事を決められるのでそうした歪みは発生せずスムーズに仕事を進められると思っていた。しかし、実際やってみてそうはならなかった。何のことはない。二重人格になるだけだった。 

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      小田原のミカン

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         以前、サラリーマンをしていた頃小田原の近くで仕事をしていたことがあった。ある日会社の同僚が近くの農家からミカンをもらってきた。大小様々で中には少し汚れているものなどもあったが食べてびっくりとても美味しかったのである。普段スーパーで買うものに比べて味に力強さがあって何か野性的な感じがした。そこに居合わせた者皆がおいしいおいしいと言っていくつも頬張った。
         ミカンについて言えば近年品種改良でオレンジとかけ合わせたものやレモンとかけ合わせたものも出回るようになってきている。十分甘くて何よりも意表を突く味と香りでこれまた優れたおいしさがある。
         このように一口においしいなどと言っても前者のように自然の恵みを意識するおいしさもあれば後者のように人為的洗練を覚えるおいしさもある。
         さて、私は現在コーヒー豆屋なのだからコーヒーの話をするが昨今注目を浴びているスペシャルティコーヒーというのは全般的に後者寄りである。コーヒー農家が品種改良、栽培、精製等それぞれの過程でワザを尽くしてつくりあげている。雑味がなく果実のような味と香りは上級品になる程に顕著になるようだ。
         しかし、個人的に好みなのは小田原のミカンのようなコーヒーの方だ。自然の恵みを感じる野性味を帯びたコーヒー。飾らずまっすぐで力強い味と香りのコーヒーである。だが、気に入ったものになかなか巡り会えないでいる。
         ところで、私は80年代の中頃から趣味が高じて手網でコーヒー豆を焙煎するようになったがどうもその頃の豆と現在流通している豆とでは違う気がしてならない。スペシャルティではなくスタンダード品(コモディティ、一般流通品)の話である。コーヒー豆の品質低下は昨日今日の話ではなく80年代に既に問題になっていたと後年知ったがそれでも今より十分魅力を感じるものも少なくなかった。何分アマチュアの趣味のレベルであるから扱う豆の種類も量もプロと比較にならない。手網と業務用焙煎機という違いもある。だから、それは一過性のもので単なる思い込みに過ぎないと言われても仕方がないのだがそうしたことを踏まえてもやはり今の豆とは違うのではないかと考えている。
         当時の豆、例えばブラジルはハゼの音がもっと大きかったし味にしなやかな柔らかさがあってとても心地良い風味があった。現在手にするブラジルは味が中庸である点は同じだがしなやかな柔らかさを出すものがない。そして、スタンダードもスペシャルティもハゼは小さい。
         コロンビアはどうだろうか?とても力強い豆で少しくらい煎りを深めてもすぐには苦くならず代わりに重心の低いコクとキレ、そしてとても甘くなってくれた。現在でもコロンビアは他の銘柄と比較すれば力強い豆の部類に入るだろう。しかし、煎りを深めていく過程で苦味が早めに出てくるようになった。甘みやコクも地に足のついたような低重心型になってくれない。そのため近頃はフルシティの少し手前で火から下ろしている。
         圧巻はケニアであった。1987年のことだ。
        二十数分かけて深煎りにしたつもりが飲んでみたら全く酸っぱかったことがある。豆面は黒く油脂分が結構出ていたから見た目はフレンチだ。フレンチと違うのはセンターカットが真っ白だったことくらいだ。このときのケニアは酸味が優っていたとは言え味も香りも素晴らしいの一語に尽きた。モカの味と香りに初々しい花のような香味がプラスされた感じであった。(当時のモカはハラーが多かった)何せモノはケニアである。モカに比べ雑味もないし格段の強い香気を放った。
         余談になるが、本当に素晴らしいと思うコーヒーは「美味しい」とか「満足感がある」といったものではない。背筋がぞっとするような衝撃的な感銘やまるで飲んでいる自分が卑小な存在であると思い知らせるような凄みや品位を感じさせてくれるものである。そのときのケニアはまさにそれであった。
         今やケニアはスペシャルティの代表格のような存在である。近年いろいろ買い漁ってみたがたいへん優秀で個性的な味や香りはあるもののその時の豆とは違う。モカのような香味など口の中でどう捜してもまず見当たらない。
         
         特にコーヒーに失望することが多くなったのは90年代に入ってからだ。
        どの豆も深く煎れなくなってきたのである。深く煎ろうとするとコクが出ずに上ずった平坦な苦味を出す豆が増えてきたのである。当初はそれでもその原因が自分の拙い手網焙煎によるものであると思っていた。だから散々煎り方を工夫してみたりもしたのである。しかし、10年たっても20年たってもかつて感動した味にカスリもしないとあればやはり豆質の変化を疑わざるを得なくなってきていた。
         そうこうしているうちにスペシャルティ豆のブームになった。
        スペシャルティ豆と聞いて何と心ときめいたことだろう。
        昔感動した豆にまた出会えると思ったからである。
        ところが実情は違った。期待したのとは異なった方角を向いている豆たちであったのである。別にスペシャルティが悪いなどと言ってるわけではない。
        むしろ、かつて味わったことのない優れた味と香りがこの新しい流れの豆にはある。だから、実際会社を辞めコーヒー豆屋になって前面に出しているのはスペシャルティ豆である。生産地事情が変化しているにもかかわらず昔感銘した味に執着するのは自らの道を狭くするだけだとも思った。もう一つは趣味の場合重箱の隅をつつくようなコーヒーの求め方になるが商売をはじめると全体的に平均点を上げることに留意するようになったからである。ある一点に固執してあの苦味を出さなくてはならないとか常にこの豆からはこういう風味を引き出さなくてはならないとかをやっていると実験に何十キロも場合によっては何百キロも豆を捨てる羽目になる。いつまでもそんなことをしていたのでは商売は成り立たない。飲んでみて問題がなければとりあえず良しとしなければならない。平均点を上げるという意味においても大方品質が確保されているスペシャルティを使っている方が楽なのであった。
         このように自分で自分に「今は商売をしているのだから」と言い聞かせながら日々スペシャルティを使って仕事をしているがそれでも時折昔飲んだコーヒーのことが頭をもたげてくる。同時に私などよりもっと古くからコーヒーを愛好していた人たちはどのようなコーヒーを飲んでいたのだろうかという疑問も湧いてくる。
          最近ティピカ種のコロンビアを生豆業者の情報で見かける。試しにひとつ取り寄せてみたことがあった。ティピカ種コロンビアと聞けば伝統的で本来のコロンビアというイメージだ。焙煎してみて感じたことは品種としては確かに伝統的なものかもしれないが果たしてこれが昔のコーヒー人が味わったコロンビアなのかどうかである。というのもコーヒーの先哲はコーヒーを枯らすことを良しとしている。ところが私が取り寄せてみた豆はどう考えても枯らすにふさわしい強い酸と力を持つ豆ではなかった。ニュークロップでも幾分浅めに煎るのに適した豆だったからである。ティピカ種のコロンビアといってもいろいろあるので安易に決めつけはできないが、それにしても現代の豆はあくまでも現代の豆なのであろうか。
         ハワイコナもそうだ。元来酸味の強い豆で「オールドコナ」という言葉があるとおり枯らして酸味を抜かなくては落ち着かない豆であったはずだ。この豆もいつからかシティローストでバランスのとれる豆になった。
        ブルマン化したのである。おそらく一般の受けは良いだろう。
         煎りやすくなったが個性的なトロピカルな風味は消えた。
         
         普段、スペシャルティ豆を謳ってコーヒーの焙煎・販売をしていて心配な点がひとつある。それは人為的であるが故の味と香りの天井が見切られることである。わかりやすく言えば、おいしいけど飽きられるのではないかと考えてしまうのである。いつまでも飲むたび毎に新たな新鮮さをもって人を魅了し続けるといった具合に果たしてなるだろうか。「際だったカップ特性」も最初はアッと思うが次第に「確かに違いはあるが結局は何を飲んでも同じ」になってきはしまいか?これから先も優れたスペシャルティ豆は出現するかもしれない。けれども人為的に洗練された豆というのはどこまでいっても味の大気圏のようなものを突き破ることはできない気がしてならない。それができるのは野性的な要素を持った豆の方ではないのか。
         この天井が見切られたとき果たして私が思い描いている小田原のミカンのようなコーヒーは復活してくれるだろうか?

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        迷える子羊と井の中の蛙

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            若い時分、広く世の中を見聞きするのは良いことだと教えられた。
          誰もがそうなのだろうと思う。一般企業などでも社員をよく外部の研修
          やセミナーに参加させることが多い。特定のカラに閉じこもっていない
          でもっといろいろな仕事の仕方や優れた考え方を学んでこいということ
          である。
           ところが困ったことに、知れば知るほど学べば学ぶほど逆に何が良い
          のかどんどんわからなくなっていくことは多い。なぜなら、その道の
          専門家とか大家といわれている人たちの言うことが皆様々であるからだ。
          最終的に道はひとつだなどと言う人もいるが現実はそんなに単純ではない。
          へたに足を踏み入れると迷える子羊状態に陥ってしまうのである。
           こんなことを言うと、”それなら自分にプラスになることだけ学べば良い
          じゃないか!”という声も聞こえてきそうだが何がプラスかマイナスか
          一つの物事に何らかの答えを出すためには時に相当な経験量(時間)を
          必要とすることがあり、これでは外から学ぶことより自らの経験を積む
          方が大切だということにもなりかねない。
           さて、私は現在コーヒー豆の焙煎を生業としているがこの焙煎という
          作業、プロによって皆やり方が違う。同じ色づきのローストでも強火で
          短時間で煎りあげる人がいるかと思えば、弱火で長時間かけて煎る人も
          いる。また、最初弱火で途中でいきなり強火にする人、逆に途中から
          火力を弱める人などとにかくいろいろなやり方があるようだ。
          求める味が違えばやり方も自ずと違ってくるのは当然と言えば当然かも
          しれない。
           ある時、焙煎のことでうまくゆかぬことがあって熟練のプロに自分の焙煎
          状況を説明し答えを伺ってみたことがある。Aという人はそれは焙煎時間が
          短すぎるのではないかということであった。Bという人にも伺ってみた。
          そしたらそれは焙煎時間が長すぎるからだとおっしゃった。
          ああそうか!熟練のプロといってもこんなに見解が違うものなのかとその時
          非常に驚いた。
           すぐに答えのでるものならいざ知らず、広く学ぼうとすればかえって混乱
          を招くことがあるのである。
           では、情報を避け黙々と試行錯誤を繰り返してゆくのがいいだろうか。
          着実ではあるが時間がかかることと独りよがりになる可能性がある。
          それで良い場合もあれば井の中の蛙になってしまうこともあるようだ。
           今では少なくなったと思うが、30年くらい前の自家焙煎の店といえば燻り
          臭のする苦いだけのコーヒーとか酸味が強すぎて飲みづらいコーヒーとかを
          出す店が結構多かった。(当然中には優秀なコーヒーを出していた店もある)
          大手ロースターの熱風焙煎に比べメリハリの効いた味になっていたためそれを
          大きく売り込んでいたような気がする。
          自分のつくるコーヒーを客観視できていれば人が何と言おうがそれでよいかも
          しれないが、そうでないとしたならば難しいものがある。人が自らの性格に
          なかなか気づけないように、ひょっとすると自分のつくるものにも気づけない
          のではないか?時折、私も自分のコーヒーがそれと気づかずひとりよがりに
          なっていないか気になることがある。
            結局、外に目を向ければ迷える子羊となり自分に籠もれば井の中の蛙となる。 
          最近では、あるときは蛙になりまたあるときは子羊になったりを繰り返しながら
          進歩してゆくしかないと諦めている。
           本当は皆そうなのではないだろうか?

          今、珈琲に想うこと No.1

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             のんびりと悩みも持たず暮らせたら何といいだろうといつも
            思っている。
             去年まではサラリーマンをしていたが日々バタバタ仕事を
            していただけで気がついたら心に残るようなことは少なかった。
            おそらく、サラリーマンというものは大概そういうものだろうと
            勝手に想像している。
             さて、そのサラリーマンをやめて自分で商売を始めるように
            なって自分の心境がどう変化しているか振り返ってみるように
            なった。
             良いことから先に言えば、まず腹をたてたりイライラすること
            がほとんどなくなった。普段店で一人でいることが多いせいだろう。
            接するのはお客様のみ。今のところ、幸い来店してくれるお客様は
            良識ある人ばかりだ。怒ったり、愚痴ったりというようなことは
            起こりようもない。
            さらに生活全般を見渡しても、たとえば酒は昔からの知り合いと
            たまに飲む程度だし、自慢じゃないが賭け事は一切しない。
            生活のリズムはほぼ規則正しい(つもり)し、金をもうけて
            豪勢な暮らしをしようなどという欲もない。(というかできそうも
            ない)
             これだけで考えれば至って平和な暮らしのハズなのだが、もし
            幸せかと問われれば返答に躊躇する。
            新たな問題はやはり常に発生する。
            商売を始めた人間にとってはまず第一に仕事を軌道に乗せることが
            先決になる。
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